傾きかけた日差しのもと、ヤークトフントは頭を摩(さす)りながら起き上がりました。
「いてて……何なんだあいつら……」
あたりを見渡し、ミュート姿で横たわる仲間たちに気づいて慌てて抱え始めました。
そのそばで、一寸法師(いっすんぼうし)はむくりと立ち上がり歩き始めると、ぼそりと呟(つぶや)きました。
「……終止符(おしまい)」
僅(わず)かな気配に目覚めたカッツェは去っていく一寸法師(いっすんぼうし)を目に留めると、ヤークトフントの腕をすり抜けながら呼び止めました。
「待って!俺……君とちゃんと話がしたい」
一瞬の出来事にうろたえながらも、ヤークトフントはカッツェを止めようと咄嗟(とっさ)にその手を掴みました。
「おい!カッツェ ―― 」
カッツェはヤークトフントを振り切ろうと必死に抵抗しながら、一寸法師(いっすんぼうし)に向かって手を伸ばしました。
「君と……友達になりたいんだ……!」
友達という言葉に、一寸法師(いっすんぼうし)はぴくりと耳を動かしました。
「俺も……ひとりだったんだ。譜(うた)うと“気味が悪い”って追い払われて……。何の役にも立てない俺なんか、消えた方が良いって思った ―― でも、仲間に出会えて……笑えるようになったんだ……!だから」
しかしカッツェの呼びかけに答えることなく、一寸法師(いっすんぼうし)は再び足を踏み出すとそのまま立ち去っていきました。
その様子を見守っていたヤークトフントは、カッツェの頭にぽんと手を置くとくしゃくしゃと毛をかき混ぜました。
「よく分かんねーけど……今はそっとしといてやんな。大丈夫、旅をしてりゃまた会えるさ」
遠くなる一寸法師(いっすんぼうし)の背中を見送りながら、カッツェは力なく俯(うつむ)きぽつりと呟(つぶや)きました。
「……届かなかった ―― 俺の譜(うた)じゃ……」
気がつくと、一寸法師(いっすんぼうし)は草の上にうつ伏せに倒れ込んでいました。
いつの間にか、元の小さな姿に戻っています。
わずかに顔を上げると自分の周りには、お椀や小槌(こづち)といった持ち物が、西日を受けて輝きながら四方八方(しほうはっぽう)へと散乱しています。
よく見ると、お椀は欠けていました。
一寸法師(いっすんぼうし)の脳裏に気を失う直前のことがゆらゆらと蘇(よみがえ)ってきます。
森の中で出会った少年との会話と、そのあとの争いも。
欠けたお椀を見つめながら一寸法師(いっすんぼうし)は考えます。
いつもこうだ。いつもいつもいつも。
傷つけられて、最後は、ひとりぼっち。
でも、「終止符(おしまい)」を手に入れれば。
みんな私の「おともだち」にしてしまえば。
……絶対に私が「終止符(おしまい)」を手に入れる。
烏帽子(えぼし)に垂らした布の奥で、一寸法師(いっすんぼうし)はギリと歯を食いしばりました。
「やれやれ……Trödel(ガラクタ)共は礼儀を知らないね。服が汚れてしまったよ」
次々とこの場を後にする譜人(うたいびと)たちに目もくれず、あおひげ公は乱れた髪を整えながら肩を竦(すく)めました。
「公、お戯(たわむれ)れもほどほどにしていただけますか。そのお召し物もわざわざ特注で ―― 」
淡々と主人に小言を並べるレネを、お手上げだという様に軽く両手を上げながらあおひげ公が遮(さえぎ)りました。
「分かった分かった。Beschwerde(小言)は帰ってからにしておくれ」
「……自由にもほどがある」
奔放(ほんぽう)に振る舞うあおひげ公に、レネは小さく悪態をつきながら城へと引き上げていきました。
ノノの思わぬ裏切りを受けて、夜雀(よすずめ)は怒りに打ち震えながら瞬(まばた)きもせず地面を見つめて呟(つぶや)きました。
「……許さない、彼(あ)の白狐(しろぎつね)……善(よ)くも此(こ)の僕を……ツ!仇(かたき)共々道連れだ……戯(ざ)れ口叩く彼(あ)の舌チョン切(ぎ)つて呉(く)れやう……」
「……主(あるじ)」
夜雀(よすずめ)を宥めようと口を開いた大葛籠(おおつづら)は、その血走った瞳に宿る凄まじい怨念(おんねん)に、伸ばしかけた手をびくりと止めました。
すると、傍の小葛籠(こつづら)が突然真剣な面持(おもも)ちで口を開きました。
「……あいつら、世界が静かになればいーって言ってた」
「あ、ああ」
僅(わず)かに体を震わせ我に帰って答える大葛籠(おおつづら)に向かい、小葛籠(こつづら)は淡々と問いかけました。
「あにさま、あいつらが終止符(おしまい)を手に入れたら、この世はどーなんの?」
「……崩壊する……かもしれないな……」
小葛籠(こつづら)はふと考え込む様に俯(うつむ)くと、再び射る様な視線で真っ直ぐに大葛籠(おおつづら)を見据えて言葉を繋ぎました。
「崩壊……したら、あるじの願いは一生叶わなくなる? ―― そんなの」
「させない。その為に私達がお守りしなければ ―― この命に変えても」
小葛籠(こつづら)の思いを代弁する様に、大葛籠(おおつづら)は強い口調で静かに言い放ちました。
兄の決意を眉ひとつ動かさずに聞きながら、小葛籠(こつづら)も夜雀(よすずめ)の背中を見つめたままゆっくりと頷(うなず)きました。
絶望の譜(うた)に吹き飛ばされて目を回していた【Alice×Toxic(アリストキシック)】は、ようやく目を覚ましました。
スニックスニッカはすかさずアリスティアにしがみつき、わんわん声を上げて泣きじゃくりました。
「スニッカまだパーティーできたもん!!できたも―― ん!!!!!」
「……………アイツ、キライ♠♠♠」
アリスティアは捲(まく)れ上がるスカートを気にも留めずに、頭のリボンを無造作にぐしゃりと握りしめて呟(つぶや)きました。
苛立ちを隠せないアリスティアの様子を見ると、バギィ☆クロウはけらけら笑いながら語りかけました。
「アリスティア、あいつらも治療しちゃおっカ☆」
きょとんとした表情で見返すアリスティアをあやす様に、バギィはおおげさな手振りで語り続けました。
「そうサ☆あいつらのオツムは決まりごとだらけで壊れちゃったんダ☆ボクがとっておきの手術(フルコース)を用意するから、アリスティアの譜(うた)でとびっきりのワンダーランドを見せてあげようヨッ☆」
「とびっきりの…… ♣」
バギィの話を聞くうちに、アリスティアの大きな瞳がキラキラと輝き始めました。
項垂(うなだ)れてぬけがらのように転がっていたムゥムゥも、ワンダーランドという言葉にピンと耳を立ててケタケタと戯(おど)け出しました。
「ね、アリスティア☆治してあげヨッ☆」
バギィは僅(わず)かに浮かべた怪しげな笑みを隠すように、首をかしげてアリスティアを覗き込みました。
「……うん♣今度会ったら、絶対治してあげるんだから♠♠♠」
ゲラゲラ笑うバギィ達の後ろで、ムゥムゥは自分の首を指さすと静かにその手を横へと滑らせるのでした。
争いの前の平穏が戻った森の中に、モモセの嗚咽(おえつ)が響きました。
モモセは地面に突っ伏したままきつく拳を握ると、悔しそうに呟(つぶや)きました。
「……負けた……」
傍(かたわら)ではイヌタケが仰向けに転がり天を睨んでいました。
「……ああ」
モモセの涙が一粒また一粒と地面に落ちて、水玉模様を描きました。
「こんなんじゃ、故郷を守れない……ばあちゃんも……村のみんなも……」
やり場の無い怒りを込めて、モモセは力いっぱい地面を殴りつけました。
モモセを見守るトリサワは、かける言葉もなく唇を噛んで俯(うつむ)きました。
「あー!辛気(しんき)臭いなーみんなー!」
サルハシは黙り込む仲間たちを見回すと、重苦しい空気を断ち切る様に突然大声をあげて立ち上がりました。
「あんなヤツより強くなりゃ良いって話だろ?簡単じゃん!うまいもんいっぱい食ってさ!勝とうよ。勝って俺たちの故郷を取り戻そうよ」
トリサワも顔を上げて後に続きました。
「……そ、そうであります!こんな所で倒れているわけにはいかないのであります!!」
「そうだな、次は勝つ」
2人の言葉に勇気付けられて、イヌタケも決意を口にしました。
「……おまえら……!」
片手で乱暴に涙をぬぐいながら、モモセも空の彼方を見据えて力強く言い放ちました。
「そうだよな、こんなところで止まってるわけにはいかねえ!強くなって、故郷のために終止符(おしまい)を手に入れるんだ……!!」
まばゆい光の中を桜の花びらがはらりと舞ったかと思うと、静寂の中に老人の快活な笑い声が響きました。
その笑い声を聞いた途端、ノノは笑みを消しギロリと空を睨みました。
「随分と楽しそうだな ―― ノノ」
老人の声は優しげな口ぶりで、懐かしむかのようにノノに語りかけました。
「変わったな、あの頃と」
親しげに語りかける老人の声に、ノノは舌打ちとともに忌まわしそうに呟(つぶや)きました。
「…………クソ爺……」
ノノはしばらく空を睨んでいましたが、突然興味を無くしたようにカンとクモオに背を向け歩き出しました。
「……帰るぞ」
「え?」
「?」
突然の出来事に、カンとクモオは不思議そうに顔を見合わせると、慌ててノノの後を追っていきました。
【無色(むしょく)の空と嗤(わら)う糸】が去ると、残された譜人(うたいびと)たちに老人の声が響きます。
「難しい奴よのう……まあいい。譜人(うたいびと)たちよ、嘆き傷つき、悲しむ事があろうともその譜(うた)を絶やすことなく、己(おの)が大義のため奏(かな)で続けるがいい……いずれ望んだ終止符(おしまい)にたどり着くことができよう」
老人の笑い声とともに桜の花びらが一斉(いっせい)に舞い上がり、空の彼方へ吸い込まれる様に消えていきました。
「ああ ……五月蝿(うるさ)い」
突然あたりが闇に包まれたかと思うと、耳をつんざく轟音(ごうおん)が響き渡り、次々に譜人(うたいびと)たちを吹き飛ばしました。
必死に身を起こし闇を見据えた夜雀(よすずめ)は、目前に捉えた【無色(むしょく)の空と嗤(わら)う糸】の姿に狼狽(うろた)えました。
「貴様 …… 何故 ……!?」
ノノは凍てつく金の瞳で夜雀(よすずめ)たちを一瞥(いちべつ)し静かに口を開きました。
「静かにしろよ。…… 野望、希望、復讐 … 戯言(ざれごと)はもう聞き飽きた。終止符(おしまい)を手に入れなくとも、俺がお前達をこの争いから救ってやろう」
【無色(むしょく)の空と嗤(わら)う糸】の旋律(せんりつ)に乗せ、ノノの絶望の譜(うた)が大地にこだますると、辺りはたちまち漆黒(しっこく)の轟音(ごうおん)に染まりました。
【Momotroop(モモトループ)】のサルハシが驚愕(きょうがく)の表情であたりを見回しながら叫びました。
「……っ、なんだこの譜(うた) ―― !?」
【Bremüsik(ブレームジーク)】のエーゼルは轟音(ごうおん)に耐えようと、必死にベースを握りしめました。
「…… 音が …… 聴こえない ……!」
成(な)す術(すべ)のない譜人(うたいびと)たちの心はみるみる絶望の闇に染まり、次々にミュート化して力なく地面に転がっていきました。
「譜人(うたいびと)の力など無ければ、夢を見ることもない ……」
ノノが微笑むと譜人(うたいびと)たちの旋律(せんりつ)は消え、あたりは静寂に包まれました。
「…… 貴様 …… 静かになれば其(そ)れで良ひと ―― 」
足音ひとつ感じ取れない無音の闇の中で、【セツダン倶楽部(くらぶ)】の夜雀(よすずめ)は驚愕(きょうがく)の表情でノノを問いつめました。
「…… 復讐ごっこに付き合っているほど暇ではない」
蔑(さげす)む様な笑みを浮かべ、再び譜(うた)を紡(つむ)ごうと口を開きかけたノノの後ろで、ミュート姿のモモセが僅(わず)かに残る力を振り絞り立ち上がろうともがきました。
「まだだ、まだ負けてねえ……!!」
ノノはモモセをちらりと見ると、カンに顎(あご)で促(うな)しました。
「…… チッ、自分でやれよな」
カンは悪態を付きながらモモセをつまみあげました。
その瞬間、一筋の光が大地に降り注ぎました。
【セツダン倶楽部(くらぶ)】と【BLASSKAIZ(ブラスカイズ)】の譜(うた)に翻弄(ほんろう)されながらも、モモセは必死に譜(うた)を紡ぎます。
「俺達はこんな所で負ける訳にはいかねえんだよ! ―― 今度こそ、鬼退治して故郷を守るって決めたんだ!!」
【Momotroop(モモトループ)】の譜(うた)が闇を貫(つらぬ)く閃光(せんこう)となって空を切り裂きます。
その傍(かたわら)で【Bremüsik(ブレームジーク)】が、癒しの譜(うた)で皆の気を鎮めようと譜人(うたいびと)たちの旋律(せんりつ)を食い止めます。
カッツェは互いに争う譜人(うたいびと)たちを見て必死に叫びます。
「こんなの止めよう……!争いは悲しみしか生まないんだ……!」
一寸法師(いっすんぼうし)は、恨みの譜(うた)が渦巻く中で歯を食いしばりながらぼそりとつぶやきます。
「き え ろ」
譜人(うたいびと)たちの抵抗に、夜雀(よすずめ)は譜(うた)に力を込めながら苛立ちを露(あら)わに声を震わせ叫びます。
「黙れツ……復讐への路(みち)を誰にも邪魔させるものか……ツ!!」
「……くだらない」
譜人(うたいびと)たちの願いの旋律(せんりつ)が混ざり合い蠢(うごめ)く地を、陰から静かに見つめていたノノがぼそりと呟(つぶや)きます。
側で佇(たたず)むカンは、横目でちらりとノノをうかがった途端、息を呑(の)みました。
そこには、笑みを消し冷ややかな表情で譜人(うたいびと)を見つめるノノの姿がありました。
神秘的なヴァイオリンの音色が響きあおひげ公が優雅な笑みを称(たた)えると、青い薔薇(バラ)があたりにふわりと舞い始めました。
「Meine liebe(女神)のいないコンサートとは実に退屈だが … 仕方ない。終止符(おしまい)はこの私のものだ。今宵、蒼(あお)の調べにのせ君たちを棘(いばら)の闇へと導こう」
怪しげに煌(きら)めく蒼(あお)い瞳を細めると、あおひげ公は手にしたマイクにキスをしました。
「この世界でMeine liebe(女神)に相応(ふさわ)しいアダムは私だけで充分 …さあ酔いしれたまえMeine liebe(女神)たち!朽ち果てるがいいTrödel(ガラクタ)共!」
恍惚(こうこつ)の表情で歌い上げるあおひげ公の耽美(たんび)な譜(うた)に、レネが奏(かな)でるヴァイオリンの音色が重なると、魅惑(みわく)の旋律(せんりつ)が青い光のカーテンとなって【セツダン倶楽部(くらぶ)】の恨みの譜(うた)を遮(さえぎ)りました。
【BLASSKAIZ(ブラスカイズ)】の譜(うた)に包まれた譜人(うたいびと)たちは、その甘い毒の様な旋律(せんりつ)に思わず顔をしかめ動きを止めてしまいました。
それでも【Momotroop(モモトループ)】は、僅(わず)かに動く手足で必死に楽器に食らいつきました。
「悪趣味だな」
イヌタケが不快感を断ち切るように力強くベースの弦をはじきました。
その音色にモモセの力強いギターの旋律(せんりつ)と叫び声が重なりました。
「なめやがって…… 調子乗ってんじゃねーぞ!」
打掛(うちかけ)をひるがえしながら【セツダン倶楽部(くらぶ)】が姿を現しました。
「静聴(せいちょう)せよ!譜人(うたいびと)諸君に告ぐ、終止符(おしまい)は吾等(われら)セツダン倶楽部(くらぶ)のものである!此(こ)れ依(よ)り行く手を阻(はば)む者は皆敵と看做(みな)し、凡(すべ)て排除する!」
高らかに響く夜雀(よすずめ)の演説に、モモセが素早く楽器を構えながら噛みつきました。
「急に出てきて何訳分かんねーことぬかしてんだこのおかっぱオバケ!誰だか知らねーが終止符(おしまい)狙ってるんならお前らもぶっ潰(つぶ)す!!」
「此処(ここ)に紡(つむ)ぐは恨み譜(うた)―― 哀(あわ)れな其(そ)の身、柘榴(ざくろ)の如く真つ朱(まっか)に裂いて憂き世の花と散らしてやらう」
夜雀(よすずめ)の後に続いて、不安げながらも葛籠(つづら)兄弟が楽器を構え演奏を始めると、セツダン倶楽部(くらぶ)の恨みの譜(うた)が文字となり、譜人(うたいびと)たちに襲いかかりました。
「わあっ♦♦素敵なパーティー♠♠♠」
応戦する【Momotroop(モモトループ)】の横を、【Alice×Toxic(アリストキシック)】が大騒ぎしながら駆け抜けましたが、文字の群れに飲まれてたちまちミュート化してしまいました。
恨みの譜(うた)に捕らえられながらも大喜びの【Alice×Toxic(アリストキシック)】の様子を見て、【BLASSKAIZ(ブラスカイズ)】のあおひげ公は大きなため息を吐きました。
「これだから品のないTrödel(ガラクタ)は……。教えてあげよう、真の美しさを ―― 」
あおひげ公が片手を差し出し指を鳴らしたのを合図に、レネがヴァイオリンを奏(かな)で始めました。
「そろそろ頃合いのようだ」
ノノは寄りかかっていた木から身を起こしながら、静かに夜雀(よすずめ)へ語りかけます。
「君にはあまり時間が無かったな――手伝ってやろうか」
嘲笑(あざわら)うように見下すノノを、夜雀(よすずめ)は鋭(するど)く睨(にら)みつけます。
「……煩(うるさ)い其(そ)の舌チョン切(ぎ)る暇(いとま)に終わらせるさ」
吐き捨てるように言いながら、夜雀(よすずめ)はがちゃりと重たい音を立てて拡声器を構えます。
「せいぜい声でも枯らしてさえずるんだな――“すずめさん”」
夜雀(よすずめ)の背中を見送りながら密(ひそ)かに笑うノノを見てカンは独り言のように呟(つぶや)きます。
「――本当、悪魔だな」
「……お戯(たわむ)れも程々(ほどほど)に」
執事のレネが項垂(うなだ)れたあおひげ公の首へ銀色の鍵をそっとかけると、彼は瞬(またた)く間(ま)に人間の姿を取り戻しました。
「 Vielen Dank!(よくやった)レネ」
あおひげ公は乱れた襟を丁寧(ていねい)に整えながら辺りを見渡し不敵(ふてき)な笑みを湛(たた)えて続けます。
「Oh weh(おやおや)……これは何という好機(こうき)。運命(うんめい)が私を祝福(しゅくふく)している!」
あおひげ公の感嘆(かんたん)を受け流し、レネは静かにヴァイオリンを手に取ります。
愛用のステッキをひと振(ふ)りしてマイクスタンドへ姿を変えるとその鎖を指先に絡(から)め、あおひげ公は空を仰(あお)いで高らかに言い放ちます。
「さあ、紡(つむ)ごうではないか。至極(しごく)のrondeau(ロンド)を――」
音の正体は、モモセ達を追ってきた【Alice×Toxic(アリストキシック)】でした。
「ったく――しつけーやつらだな!今度こそ叩(たた)き潰(つぶ)す!!」
威勢良(いせいよ)く言いながら、【Alice×Toxic(アリストキシック)】へと向きを変えようとしたモモセの前に仲間の3人が進み出ました。
「こっちは俺達がまとめて相手しとくから!こないだの“借り”これでチャラな!モモちんはあのでっかいのとちっちゃいのを止めてやんなよ」
サルハシは一寸法師(いっすんぼうし)とカッツェに目をやると【Alice×Toxic(アリストキシック)】へ楽器を構えました。
「わァッ☆パーティー始めるの!?混ぜて混ぜテッ☆」
白衣をはためかせてはしゃぐバギィ☆クロウもさっそくベースを取り出しましたが……
「やだやだやだ!アリスティアいないもん!!スニッカ、パーティーしない!!!」
大好きなアリスティアとはぐれてご機嫌斜(きげんなな)めのスニックスニッカが、キーボードを放り出してたちまちミュート化してしまいました。
駄々(だだ)をこねて泣きじゃくるスニックスニッカに、仲間達はあきれた様子で首をすくめました。
そこに、いつの間にか追いついたアリスティアが顔を出しました。
「痛ってぇ!何だよあのウサギ、思い切り突き飛ばしやがって……!」
背中を摩(さす)りながら立ち上がるモモセに、イヌタケが不満をぶつけます。
「お前が押すから更に飛んだんだよ!」
「はぁ!?人の前塞いでたのはそっちだろーがこの犬ころ!!」
一寸法師(いっすんぼうし)とカッツェに目もくれず、小競り合いを始める【Momotroop(モモトループ)】でしたが、ようやく張り詰めた空気に気づいたモモセが一寸法師(いっすんぼうし)達へと向き直ります。
「……なんのケンカか知らねーけど、無駄な争いは腹減るだけだぞ!」
2人を諌(いさ)めるように語りかけたモモセを一寸法師(いっすんぼうし)が静かに遮(さえぎ)ります。
「……邪魔(じゃま)……」
その冷ややかなひとことに、モモセは思わず声を荒げます。
「なんだよのっぽ!親切で言ってやってんのに――」
「待って!俺は争いたい訳じゃ」
不穏な気配を感じてカッツェが慌てて止めに入ろうとすると、遠くから騒がしい“何か”の音が聞こえてきました。
カッツェは再び一寸法師(いっすんぼうし)の譜(うた)に耳を傾(かたむ)けると静かに言いました。
「――哀(かな)しい譜(うた)だ……」
鼓膜(こまく)を締(し)め付けるような痛みで遠のく意識と戦いながらカッツェは言葉を繋(つな)ぎます。
「君も……ひとりだったの……?」
一歩一歩、ゆっくりと一寸法師(いっすんぼうし)の前へと足を踏み出しながらカッツェは語りかけました。
「……うるさい……」
一寸法師(いっすんぼうし)が感情のこもらない声で呟(つぶや)くと、耳をつん裂(ざ)く譜(うた)は激しさを増してカッツェへと襲(おそ)いかかりました。
「っ……大丈夫だよ……俺は君と話をしたいだけ――」
一寸法師(いっすんぼうし)の攻撃に耐(た)えながら彼の閉ざされた心を開こうと、カッツェが必死に語りかけたその時、突然音を立てて落ちてきた塊(かたまり)が2人の間を塞(ふさ)ぎました。
それは、森を駆(か)け抜けた【Momotroop(モモトループ)】の姿でした。
2人の譜人(うたいびと)が奏でる、悲哀(ひあい)の譜(うた)が響く森の外れ。
暗い木立の影に、対盤(ライブバトル)の行方を静かに眺める6つの影がありました。
それは、自らの願いのために手を結んだ【無色(むしょく)の空と嗤(わら)う糸】と【セツダン倶楽部(くらぶ)】の姿でした。
「耳障りな“おうた”だな」
ノノはカッツェ達を一瞥(いちべつ)すると、吐き捨てるように呟(つぶや)きました。
「どうするんだ?このまま黙って見てたって静かになんかならねえぞ」
カンは静観するのにも飽きた様子で、足元の花をつま先で弄(もてあそ)びながらノノに尋ねると、傍の木に寄りかかるクモオがそっぽを向いたままぽつりと呟きました。
「……まとめて黙らせれば」
「――さて、どうする?」
ノノは親しげな笑みを浮かべながら、後方の【セツダン倶楽部(くらぶ)】へちらりと目を向け口を開きました。
「私達に始末しろとでも言いたげな口ぶりですね」
訝(いぶか)しげに眉根を寄せてノノを見返す大葛籠(おおつづら)の袖をくいと引っ張り、小葛籠(こつづら)がぽつりと呟きました。
「あにさまぁ……おかしーよ、あいつら」
「……構うんぢやない……終止符(おしまい)を手に出来るのなら其(そ)れで良い――」
夜雀(よすずめ)は葛籠(つづら)兄弟の不安を振り払うように静かに言い放つと、手にした拡声器をゆっくりと握りしめました。
一寸法師(いっすんぼうし)の心を開こうと、カッツェが再び口を開いたその時です。
「おいチビ!また何か首つっこんだな!」
フォーゲルを先頭に、異変(いへん)を感じた【Bremüsik(ブレームジーク)】が駆(か)けつけました。
「来ないで。彼と2人で話をしたいんだ」
強い瞳で訴(うった)えるカッツェに、仲間達は思わずその足を止めました。
「良いのか!?あいつ楽器(アコルディオン)も忘れてるのに」
カッツェの楽器を抱えて今にも走り出しそうなヤークトフントを、エーゼルが静かに制(せい)します。
「今は好きにやらせてあげよう……あの優しさが、新たな争(あらそ)いの種にならないと良いけれど――」
一寸法師(いっすんぼうし)はヘッドホンにゆっくりと手をかけ譜(うた)を重ねていきます。
「――やっぱり“違う”……」
仲間に見守られるカッツェを一瞥(いちべつ)して、一寸法師(いっすんぼうし)が吐き捨てるように呟(つぶや)きました。
「……お友達って……何でも聞いてくれるんだよね……?」
一寸法師(いっすんぼうし)は手元のディスクを器用(きよう)に操(あやつ)り、譜(うた)を紡(つむ)ぎ始めます。
「終止符(おしまい)を手に入れて……みんな私のお友達にするんだ……」
その行く当てのない叫びの譜(うた)に、カッツェは昔の自分の姿を重ねます。
――同じだ。嫌(きら)われて、疎(うと)まれて、全てが嫌(いや)になったあの時と――
「違うよ……無理に言うことを聞かせるなんて、そんなの本当の友達じゃない……!」
助けなきゃ……彼の心が闇に飲まれてしまう前に――
カッツェは必死に語りかけますが、一寸法師(いっすんぼうし)は聞く耳を持ちません。
「……嘘」
冷たく言い放つと、一寸法師(いっすんぼうし)は譜(うた)を操(あやつ)る手に更(さら)に力を込(こ)めました。
鳥のさえずる森の湖畔(こはん)で、怪我(けが)をした一寸法師(いっすんぼうし)の目の前に茂(しげ)みを抜け出たカッツェが現れました。
「良かった!ここまで来れば――あれ?」
突然の出来事に驚いた一寸法師(いっすんぼうし)は、身を縮(ちぢ)めて黙り込んでしまいます。
「びっくりさせてごめんね……!ちょっと道に迷っちゃって」
一寸法師(いっすんぼうし)に気づいたカッツェは慌てて謝(あやま)ると、その足の怪我(けが)に目をとめました。
「君……怪我(けが)してるの……?ちょっと待ってて――」
一寸法師(いっすんぼうし)を恐がらせないようにそっと身をかがめて静かに譜(うた)い始めます。
すると、みるみるうちに一寸法師(いっすんぼうし)の怪我(けが)が治っていきました。
驚く彼を、カッツェは人懐(ひとなつ)こい笑顔で見守ります。
「俺、この譜(うた)でみんなに笑顔を届けたくて旅してるんだ!それで仲間と終止符(おしまい)を目指してて……よくはぐれるんだけど」
カッツェは照れ臭そうに頭を掻(か)きながら続けます。
「でも良かった。お陰(かげ)で新しい友達に会えたから」
「……ともだち……」
一寸法師(いっすんぼうし)は小さな声でゆっくりと繰り返すと、じっとカッツェを見つめました。
世界中の人を自分の友達にするために、終止符(おしまい)を求めて旅を続ける一寸法師(いっすんぼうし)は、薄暗い森へやってきました。
高く生(お)い茂(しげ)る草木をやっとの思いでかき分けて、木漏(こも)れ日の差す湖畔(こはん)へと辿り着いたものの、木の根に足を取られて怪我(けが)をしてしまいました。
すっかり元気を無くした一寸法師(いっすんぼうし)に、苛(いじ)められていた幼い日の記憶が蘇(よみがえ)りました。
捨てられてしまった。
ひとりになってしまった。
どうして、どうして、どうして。
どうして自分だけ“違う”のか――
「……ばけもの……」
一寸法師(いっすんぼうし)の小さなため息が、湖畔(こはん)を僅(わず)かに揺らして水面(みなも)に映るその姿を静かに掻(か)き消しました。
黒い森の古城の一室では、世界を美で満たすため【BLASSKAIZ(ブラスカイズ)】のあおひげ公が優雅(ゆうが)に譜作(うたづく)りに励(はげ)んでいました。
そこへ突然、城へと迷いこんだアリスティアが扉を開けて入ってきてしまいました。
美女に目がないあおひげ公は、その姿にすっかり心を奪われてしまいます。
「これはこれは、麗(うるわ)しい女神の来訪(らいほう)ではないか……Fraulein(お嬢さん)。その煌(きら)めくsternenhimmel(星空)の瞳に極上(ごくじょう)の賛歌(さんか)を贈ろう――」
アリスティアの手を取ると、あおひげ公は杖を一振りして譜(うた)を紡(つむ)ぎます。
それは、ひとたび耳に入ればどんな女性も虜(とりこ)にしてしまう甘い薔薇(バラ)のような魅惑(みわく)の譜声(うたごえ)だったのです。
しかし、アリスティアには変化がありません。
何故なら……
「お嬢さんじゃないよ♠じゃーん♦」
「一体どういう風の吹き回しだろうな」
対盤(ライブバトル)の決着をつけないノノを不審(ふしん)そうに眺めながら、カンは隣に佇(たたず)むクモオに尋(たず)ねました。
「……良いとこまで戦わせて楽しようって算段(さんだん)だろ」
クモオはどうでもいいと言うようにぶっきらぼうに答えました。
「あーそういうこと」
納得したように頷(うなず)くカン。
その様子を密(ひそ)かに見つめていた小葛籠(こつづら)はノノの笑顔の裏に潜(ひそ)む不穏(ふおん)な気配を夜雀(よすずめ)達に伝えようと肩を叩きます。
「ねえ、あるじー。あいつら」
しかしその忠告を言い切る前に、姉の仇(かたき)討(う)ちのために我を忘れた夜雀(よすずめ)が一心不乱(いっしんふらん)にノノへ尋ねました。
「如何(どう)すれば良い」
ノノはその瞳にほんの一瞬冷たい光を宿(やど)して怪訝(けげん)そうに見返す小葛籠(こつづら)を遮(さえぎ)るように、夜雀(よすずめ)へと手を差しのべるのでした。
「ご苦労様」
ノノは静かに笑ったかと思うと、ゆっくりと広げた掌(てのひら)にみるみる文字の群れを絡(から)め取ってしまいました。
面倒そうに後ろの2人を一瞥(いちべつ)すると、瞬(またた)く間にその戒(いまし)めも消し去りました。
「そろそろ出番だ、役立たずども」
余裕に満ちたノノの声に合わせて、【無色(むしょく)の空と嗤(わら)う糸】が奏(かな)でる絶望の譜(うた)が響き渡ります。
次の瞬間、その轟音(ごうおん)は一斉(いっせい)にかき消えて静寂に包まれ、【セツダン倶楽部(くらぶ)】はいくら譜(うた)を紡(つむ)いでも音を出せなくなりました。
それでも、夜雀(よすずめ)は拡声器を離しません。
「例(たと)へ此(こ)の喉(のど)裂(さ)けようとも、譜(うた)い続けてみせるんだ……!姉様(ねえさま)の為(ため)に――」
渾身(こんしん)の力を譜(うた)に込めたその時、夜雀(よすずめ)は激しく咳込(せきこ)んでしまいました。
病(やまい)に蝕(むしば)まれた体に限界が近づいていたのです。
モモセは頭を押さえながら辺りを見回しました。
「――勝った…のか……?」
どうやら、元いた森の中へと無事に戻って来たようです。
側に佇むイヌタケ達とともに、ほっと胸を撫で下ろしますが、その後ろに突然、色とりどりの影が現れました。
対盤(ライブバトル)に負けたはずの【Alice×Toxic(アリストキシック)】が、あっという間に元気を取り戻してモモセ達へと迫ってきたのです。
「君たちの“病気”はしつこいなあ♠今度こそ治してあげるんだから♣」
執拗(しつよう)に対盤(ライブバトル)を迫る【Alice×Toxic(アリストキシック)】に、堪(たま)らず【Momotroop(モモトループ)】は一目散(いちもくさん)に走り出します。
「くっ、車はどうするでありますか!?」
「うっとーしい奴らをどーにかする方が先だ!」
躊躇(ちゅうちょ)するトリサワの襟首(えりくび)を掴(つか)んで、モモセ達は全速力で森を駆(か)け抜けます。
勝利を示すメトロノームが【Alice×Toxic(アリストキシック)】へと傾(かたむ)いたその時です。
――こんなんじゃ故郷(こきょう)を守れねえ……俺たちは終止符(おしまい)を手に入れて鬼退治するんだ――!!
終止符(おしまい)への強い思いがモモセを奮(ふる)い立たせます。
「……っこんな所で負けてられっか!!」
叫ぶと同時に、モモセは傍(かたわ)らのイヌタケを力いっぱい殴りつけました。
「何すんだよ!!」
正気を取り戻して頬(ほお)をさすりながら怒るイヌタケに向かって、モモセは声を張り上げます。
「目ぇ覚めたかバカ!他の奴らも寝てる場合じゃねえっ!行くぞお前ら!!」
モモセの一喝(いっかつ)で【Momotroop(モモトループ)】はいっせいに目を覚ましました。
「モモちん、“借り”1個な!」
サルハシが掲げたドラムスティックの軽快なカウントで始まった【Momotroop(モモトループ)】の力強い譜(うた)が響き渡り、辺(あた)りはみるみるうちに光に包まれていきました。
「みーんな治してあげる♠夢いっぱいのワンダーランドが見られるように♦」
腕に抱えた猫型マイクから、アリスティアの奇妙な譜(うた)が辺(あた)り一面に響きます。
ゲラゲラ笑いながら演奏に加わる【Alice×Toxic(アリストキシック)】の旋律(せんりつ)が、【Momotrroop(モモトループ)】の正気(しょうき)を奪い翻弄(ほんろう)します。
「くそっ、こんなやばい奴らまで終止符(おしまい)を狙ってやがるなんて――」
感情を操(あやつ)られ泣き伏(ふ)せるトリサワや、頭を抱えて呻(わめ)くイヌタケ達を見てモモセは意識を保つようにこめかみを押さえて低く呟きました。
「そっちがその気なら――やってやるよ!」
咄嗟(とっさ)にギターを構えて演奏を始めますが、モモセ達の目の前はぐるぐると回って上手く譜(うた)を紡(つむ)ぐ事ができません。
【Momotroop(モモトループ)】が落ちた穴の中には、ねじ曲がった草木に囲まれた不思議な森が広がっていました。
「何処(どこ)だよここ!!」
するとそこへ、騒ぎを聞きつけた【Alice×Toxic(アリストキシック)】が現れました。
「ようこそ患者さん♠4名さま、ごあんなーい♦」
アリスティアの声を合図に、たちまち【Momotroop(モモトループ)】を取り囲んでしまいました。
「じっ、自分達は患者ではありませぬ!!終止符(おしまい)を求める譜人(うたいびと)であります!!」
「ワォ☆終止符(おしまい)だって!?願いを叶えるのはボクらのアリスティアだヨッ☆」
慌てて弁解(べんかい)するトリサワの言葉を聞いて、バギィ☆クロウは目の色を変えて捲(まく)し立てました。
「君たちなんかに終止符(おしまい)は渡さない♠ココをワンダーランドに変えるんだから♣」
静かに言いながら、アリスティアは猫型マイクを握りしめました。
「ああ、五月蝿(うるさ)い」
蓮(はす)の花が揺れる池のほとりに、音もなく髪をかきあげながら呟(つぶや)くノノの姿がありました。
「全く、この世界には雑音が多すぎる」
ゆっくりと開いたノノの黄金(おうごん)の瞳には、嫌悪(けんお)の色が滲(にじ)んでいました。
「……で、俺たちにどうしろって?」
傍(かたわ)らでさも面倒そうに頭を掻(か)くカンに、ノノはひらひらとビラを掲(かか)げて笑いました。
「この世界から雑音を消すんだ―永遠にな」
ぐしゃりとビラを握り潰すと、辺りは再び静寂(せいじゃく)に包まれました。
ノノのしなやかな手足に、薄紅色(うすべにいろ)の花びらが静かに舞い降りて影を落としているばかりです。
星が瞬(またた)く夜の森に【Bremüsik(ブレームジーク)】の希望の譜(うた)が響いています。
「もう落ちないように気をつけてね」
掌(てのひら)の小鳥をそっと巣に返してカッツェは微笑(ほほえ)みました。
「また治してやったのか?……おせっかいも程々にな」
やんわりと諭(さと)すフォーゲルに、カッツェは目を輝かせて語ります。
「嬉しいんだ、誰かの役に立てて。ずっと……俺なんかいらないと思ってたから」
その瞳には、彼の癒しの譜声(うたごえ)を疎(うと)まれた日々の記憶が蘇(よみがえ)ります。
生きる意味さえ見失いそうになったあの時―支え合える仲間に出会えて立ち上がれた。
「みんなが俺にしてくれたように―俺も、悲しんでる人を笑顔にできたらいいな」
カッツェの呟(つぶや)きを聞いたエーゼルが優しく語りかけます。
「きっとできるよ。僕達はそのために旅をしているんだから」
新たな街を目指して夜空を仰いだ彼らの頭上にも、ビラがはらりと舞い降ります。
怨念(おんねん)に満ちた墓地の片隅(かたすみ)には、目の前に舞い降りたビラに足を止める【セツダン倶楽部(くらぶ)】の姿がありました。
ビラを手にした夜雀(よすずめ)は、虚空(こくう)を見つめ呟(つぶや)きました。
「逃がさない……」
肺を患(わずら)う自分に尽くしてくれた、優しい姉の命を奪った憎き仇(かたき)。
その正体を突き止め、息の根を止めるまで―
脇に控えるお供の大葛籠(おおつづら)が、夜雀(よすずめ)の乱れた打掛(うちかけ)を整えながら静かに語りかけました。
「長居(ながい)をするとお体に障(さわ)ります、主(あるじ)」
隣の小葛籠(こつづら)は無造作(むぞうさ)に頭を掻(か)きながら、桜の花びらへと変わるビラの行方(ゆくえ)をぼんやりと見送っています。
「……必ずや憎き仇(かたき)を討(う)ち取つて御覧(ごらん)に入れませう―姉様(ねえさま)」
夜雀(よすずめ)はそう呟(つぶや)くと、真紅の打掛(うちかけ)をひるがえして異形(いぎょう)の影は夜霧(よぎり)の中へと消えていきました。
ここは不思議な森の病院。
その休憩室でお茶会を開いていた【Alice×Toxic(アリストキシック)】は、ポストに入っていたビラを片手にお祭り騒ぎをしていました。
「対盤(ライブバトル)で一番になれば、お願いが叶うってこと?♣」
クッキーを頬張りながら、アリスティアは首を傾(かし)げました。
「スニック勝つよ!!!アリスティア、一番にしてあげる!!!」
スニックスニッカは大きな口でニタニタ笑ってアリスティアに寄(よ)り添(そ)いました。
白兎のムゥムゥも親指を上げて頷(うなず)くと、アリスティアは物憂(ものう)げな瞳を瞬(またた)いて夢を語りました。
「ココは本当に窮屈(きゅうくつ)♠あれはダメ、これもダメ……この可愛いお洋服だって怒られちゃう♠
でも、ワンダーランドにできたら何をしたって自由になるよね♣」
クッキーの残りひとくちを口に放り込むと、スカートをはたいて立ち上がります。
「だから、対盤(ライブバトル)に勝って“治して”あげなくちゃ♣おかしいのはみんなの方だもの♠」
「その通り!アリスティアはなんてイイコなんダッ☆さあっそろそろ回診の時間だヨ〜☆」
大きな帽子を揺らして頷(うなず)きながら、バギィ☆クロウは鼻歌混じりに病室へと向かいました。
「これを読んだかい、レネ」
黒い森の奥深くに佇(たたず)む古城の一室。
城主のディースバッハ男爵、通称“あおひげ公”は、優雅な笑みを浮かべながら執事のレネにビラを手渡しました。
「……随分とご機嫌がよろしいと思えば―これですか」
無感情に答えるレネを気にも止めずに、あおひげ公は続けます。
「Wunderbar(素晴らしい)……遂に我が宿願(しゅくがん)を果たす時が来たのだよ。
この世界に必要なのは『美』!
我が城を美で満たし……“あの扉”に相応(ふさわ)しい女神も手に入れて見せよう」
月明かりを背に立つあおひげ公の髪がさらりと揺れて、蒼(あお)い瞳が淡い月光を受けて輝きました。
「迎えにいくよ―麗しいmeine liebe(女神)たち」
木々が疎(まば)らに立ち並ぶ荒地(あれち)を、古びた車が1台砂埃(すなぼこり)を巻き上げながら走っていきます。
その車内には、風で舞い込んだビラを読み、意気揚々(いきようよう)と日いずる地を目指す【Momotroop(モモトループ)】の姿がありました。
「ようやく来たんだな。この時が」
運転席のイヌタケが噛みしめるように呟きました。
「今度こそ、鬼どもを1匹残らずぶっ飛ばして故郷(こきょう)を守るんだ……!」
強く言い放った後部座席のモモセも、彼らの帰りを待つ祖父母の姿を思い浮かべ真っ直ぐな眼差しで旅路を見つめました。
その手で握りしめたビラは、やがて桜の花びらへと姿を変えて窓の外へと散っていくのでした。